特集・コラム

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床と夏の京料理

床と夏の京料理

2021年06月06日

京都の納涼床は夏の風物詩の一つです。
川のせせらぎや風で涼をとる。
昔ながらの風流さを今でも味わえるのが京都の川床といえるでしょう。

川床っていつから始まったの?

納涼床の歴史は大変古く、始まりは江戸初期。400年もの歴史があります。
秀吉の時代から江戸時代への転換期、豪商が鴨川の河原に見物席や茶店を出したのが始まりだと言われています。
江戸時代に入ると石垣や堤が整備され、付近にも花街が形成され歓楽街になりました。
祇園祭りの神輿洗いでは見物客で大変賑わったといいます。
江戸中期には茶屋が浅瀬に床几を並べたり、張り出し式のものが出て「河原の涼み」と呼ばれました。
京都の年中行事を詳しく記した延宝5年の「日次紀事」には6月7日の神事として祇園会の後に「四条河原の水陸、寸地を漏らさず床を並べ、席を設く」とあり、また元次元年の花洛名勝図会によれば同様に「6月7日の夜より18日の夜にわたって、四条河原水陸寸地を漏らさず床を並べ席を設けて良賎反楽す。東西の茶屋茶店堤灯を張り、行灯を掲げてあたかも白昼の如し。これを
涼みという。案ずるにこれ遊戯の納涼にあらず。諸人に名越しの夜をなさしめんとの神慮なるべし。されば13日の夜に至っては祇園の宵宮とてことに賑わし云云」とあって、往時の賑わいが偲ばれます。

明治時代になって、7・8月に床を出すのが定着し鴨川の右岸・左岸両方に床が出ていました。
両岸は高床式の床、砂洲は床机、三条大橋の下には河原から張り出した床が出ていたようです。
昭和28年に鴨涯保勝会が結成された当時の納涼床は30~40軒。現在は倍の100軒近くを数えます。

涼をもたらす川沿いの特等席

川床とは、蒸し暑い京の夏を涼しく過ごすために、川沿いの料理店が設ける店外席のことです。
その歴史は安土桃山時代にまで遡るといわれ、現在まで京都の夏の風物詩として親しまれてきました。
川床を出す地域は主に鴨川沿いと、京の奥座敷・貴船を流れる貴船川沿いの2つ。
他に高雄の川床、しょうざん渓涼床があり、そらぞれに違った風情をたたえ、どのお店もこだわりを持ったメニューとともに堪能することができます。

「川床」って”かわゆか”・”かわどこ”どっち?

鴨川の納涼床は”ゆか”が正解です。
鴨川の納涼床は”ゆか”・貴船や高雄にある床は”かわどこ”と呼びます。呼び方の由来は諸説ありますが、鴨川の場合
建物の床板から面で出ているから”ゆか”だと考えられています。また各地の川床を区別するために、呼び分けているとも考えられます。床席はどの時期も人気ですがおすすめの時期と言えば7~8月です。梅雨が明けたあとであれば、せっかく楽しみにしていた川床を雨であきらめる事も少なくなります。また、蒸し暑い時期だからこそ川床の醍醐味である”涼しさ”を実感していただけると思います。

4つの床のおはなし

1)鴨川納涼床の楽しみ方
  期間・・・5月1日~9月30日

先斗町や祇園といった繁華街付近の鴨川沿いに夏季限定で設けられる店外席が、京都の夏の風物詩・鴨川納涼床です。
鴨川は、桟敷ヶ岳付近を源とし、桂川の合流点に至るまで京都市内の南北を流れる約23kmの河川です。
悠久の歴史の中で千年の都と京文化を育んできた川であり、今も大都市にあって清登さを保ち、憩いの場として多くの人に親しまれています。
月間によってそれぞれ、5月・・・「皐月の床」、6~8月・・・「本床」、9月・・・「後涼み」と呼称され二条から五条にかけて4つのエリア、上木屋町・先斗町・西石垣・下木屋町で構成され、90軒余りのお店が並びます。
床と言えば本格的な和食・京料理を想像しますが、鴨川納涼床ではフレンチやイタリアン、中華料理、居酒屋風、カフェなど
様々なジャンルのお店が揃っているので、人数やシーンに合わせて選ぶ事ができ、初心者の方でも行きやすいのが特徴です。
なかには川床席料(チャージ)が不要な店もあり、5月と9月にはよりカジュアルなランチの営業を行う店も増えています。
じっくり食事を楽しんだり、夜の情緒ある雰囲気を味わいたい方にはディナーがおすすめです。

ちょっと敷居が高いイメージをお持ちの方も多いかもしれませんが、予約さえすれば誰でも気軽に楽しむことが出来ます。
鴨川の床はアクセスも抜群ですので一度は行ってみたい場所ですね。

アクセス
各線京都駅→地下鉄烏丸線「四条」駅→阪急電車「京都河原町」駅下車。
もしくは、各線京都駅→地下鉄烏丸線「烏丸御池」駅→地下鉄東西線「京都市役所前」駅下車(20分)
それぞれ下車後、徒歩で鴨川から1本西側にある木屋町通や先斗町へ。

2)貴船の川床の楽しみ方
  期間・・・5月1日~9月30日

京都の奥座敷である貴船の川床(かわどこ)は、手を伸ばせば届きそうなほど水面が近く、座敷から思わず素足を付けたくなるくらいの距離で楽しめるのが特徴です。
川床の座敷は山を流れる川の真上に設けられているため、清涼感たっぷりで自然をダイレクトに感じられると評判です。
川のせせらぎを間近で感じながら絶品の川床料理が味わえます。
ここでのお料理は本格懐石料理を提供する料理旅館が多く、予算の目安は昼6,000円~夜8,000円となっています。
真夏の炎天下でも京都市内と比べて約10度の気温差があるのでとても涼しくこれからの季節に人気のエリアです。

貴船の川床は大正時代に始まり、暑さしのぎに茶店が川へ床几を置いた事が始まりです。
現在のように料理を楽しむ形式ではなく、川に足を付けて涼むための場所でした。昭和5年に叡山電鉄が鞍馬まで開通すると
以前に比べて貴船を訪れる人も増加しました。川床が軒を連ねる先には貴船神社があります。清々しい緑に囲まれた古社は縁結びのパワースポットとして女性を中心に人気が高く、四季折々の美しい景色を求めて沢山の参拝者が訪れます。
また貴船神社は全国に500社を数える貴船神社の総本宮で京都でも屈指を誇る神社です。朱塗りの灯ろうが並ぶ本宮表参道は
フォトジェニックスポットとしてもオススメで、貴船口から貴船神社への途中のある蛍岩(ほたるいわ)では、6月下旬~7月上旬にホタルが見られることも。
清流貴船側は鴨川の源流のあたり、御所の真北に鎮座することから「京都の水源を守る神」として歴代朝廷からも大切にされてきました。ご祭神のタカオカミノカミとクラオカノカミはともに降雨・止雨を司る龍神様。
水は万物の根源であり清いもの。そのため貴船は地名としては”きぶね”と読みますが神社名は”きふね”と濁らずに読みます。
清らかな水が濁らないようにとの願いがあると言います。

アクセス
各線京都駅→JR奈良線「東福寺」駅→京阪電車「東福寺」駅~「出町柳駅」→叡山電車「出町柳」駅~「貴船口」駅下車。
京都バス33系統「貴船口駅前」~「貴船」下車(60分)

3)高雄の川床の楽しみ方
  期間・・・5月初旬~11月下旬

京都市内から1時間ほど西へ向かうと、青紅葉に包まれた高雄エリアに到着します。
秋の紅葉が人気の高雄ですが、夏も知る人ぞ知る川床の名所。高雄の川床は清滝川沿いに作られた桟敷で、屋根がある為多少の雨でも安心です。京都市内より3度から5度は涼しく、6月半ばであれば清滝川に飛び交うゲンジボタルも見られることも。
雄大な自然に囲まれた中で涼しげな川のせせらぎを聞きながら味わう天然鮎や京野菜などの旬の食材を使った川床料理は絶品です。夜のプランでは舞妓さんとの歓談や記念撮影ができるプランもあります。
アクセス
各線京都駅→JR嵯峨野線「花園」駅下車。タクシーで約10分(約25分)

4)しょうざん渓流床の楽しみ方
  期間・・・4月下旬~9月30日

洛北・鷹ヶ峯の広大な日本庭園の中を流れる清流・紙屋川の上にせり出した床で、市中の喧騒から離れた静かなひと時を満喫しながら京料理を楽しめます。また舞妓さんの踊りを鑑賞したり、ホタルを見物できるのも魅力の一つです。

ここは江戸初期より本阿弥光悦がこの地に工芸村を築いたのが始まりです。光悦は京都に生まれ、書の世界では「寛永の三筆」の一人として光悦流の祖となり書家のみならず、その才能は工芸家・画家・作庭師・能面打ちと様々な分野で開花された人物です。またその活動を日本文化に与えた影響は計り知れないと言われており、あの徳川家康から与えられたのが、この洛北・鷹ヶ峯の九万坪の土地とされています。
勝算の建設は昭和26年に始まり、西陣に生まれ戦後ウールお召しを開発し世に広めた創設者、松山正雄が思い描いた「花と緑の観光工場」そして、京の山々を借景に三万五千坪の庭園から造られました。
また、広く着物の理解を深めようと勧めた花と緑の工場や、広大な庭園建設の源となっているのは
【長い歴史と伝統を誇る西陣の織物は美の極地だが、そのような美しい着物の柄や色は美しい環境から生まれる】という創設者の人間哲学から生み出されたものです。
四季折々に表情を変える庭園に、日本の粋を集めた茶屋や屋敷。京ならではの職を楽しみながら京の伝統に触れる染色体験、水のせせらぎに憩う渓涼床。京ならではの風雅がすべてここに詰まっているようですね。

アクセス
京都駅バス停より市バス6系統「土天井町」下車徒歩5分

夏の京料理

京料理とは

「京料理」とは京都の歴史上形成された日本料理の五体系「大饗料理、精進料理、本膳料理、懐石料理、おばんざい」の総称。
出汁を基本とする調理法によって創り出される料理と、それらを盛りつけ・配膳し、しつらえの中でもてなす伝統文化に根差した総合的な技能の事です。
旬の食材を用い、本来の味わいを活かす調理を行うのが京料理の基本。食材の鮮度を活かすため「手早く・手際よく」切る包丁さばきなど、発達した調理法も大切です。また、見た目の美しさもとても重要視され、食材の大きさ・色彩・質感などの調和を考え、季節や風情を盛り込んだ盛り付けと器で提供します。

夏の京料理

夏の主役はやはり「ハモ」。爽やかな味わいが京都に夏の到来を知らせます。そのほか初夏の「あゆ」や、味噌などと一緒に
調理される「賀茂茄子」も欠かせない食材です。あしらいは笹などの緑、水や氷、ガラスなど視覚でも触覚でも涼しさを感じさせるものが多用されます。

鱧と鮎 ー食べて京の夏を知るー

京都は三方を山に囲まれた盆地で、夏が大変暑く油照(あぶらでり)といわれるほど。少しでも過ごしやすくする工夫で京都の夏に美味しいものと言えば鱧と鮎。
鱧と鮎は季節を味に映して都にもたらす魚です。京都の夏の風物詩、鱧と鮎。
どちらもその味わいのようにじんわり心に沁みるストーリーがありました。

鱧と鮎が夏の京都を代表する味になったのは・・・
京都には、室町時代から寺社の門前に茶屋がありました。茶屋といっても次第に食事や酒をサービスするようになり江戸時代中期(18世紀)になると洛中には続々と料理屋ができ、中でも生簀(いけす)を持つ料理屋が人気で高瀬川の近くには何軒もの店がありました。桃山時代後期(16世紀)には、東山に宴会ができるような料理屋があったことがわかっています。
そこでは生簀に鰻や鯉、鮒などをいれておき、生きた魚を料理しました。そのころの京都の料理屋では魚と言えば川魚。
海から魚を運ぶには、内陸に都・京都は遠かったのです。たとえば、鯖街道の起点である福井県の小浜から京都・出町柳までは約70Kmほど。
鯖やぐじ(アカアマダイ)など海の魚に塩をして担って歩くと、京都でちょうど良い塩梅になる距離でした。
運ぶ人は、寝ないで歩きづめに歩いたといいます。

朝廷への献上品だった魚・鮎

鮎は1年しか生きないことから年魚、香りが良いので香魚とも書きます。
神功皇后が釣りをして戦勝を占った時にあがったので鮎という字になったという話も「古事記」・『日本書記」にあり、
古くから食べられてきた食材です。
朝廷への献上品でもありました。現在、日本の淡水魚で一番食べられているのが鮎で、全漁獲量の4分の一にのぼります。
鮎は、中国にも韓国にもいますが、これほど珍重する国はないようです。
西瓜やキュウリを思わせる香りも清冽な味も短い一生も日本人好みなのでしょう。
京都では保津川や桂川など鮎で知られる川が多いのですがあの食に詳しかった北大路魯山人は京都和知川から鮎を運び、東京の星岡茶寮で出して評判になりました。

鱧の名前のいわれは、はむ(食う、噛む)からとも、はに(まむし)に似ているからとも。大きいものは2m以上になります。
生命力が強く、流通が発達する前は、大阪や明石、淡路から京都まで生きて届いた貴重な海の魚でした。
その強靭な生命力の源は海の魚にしては珍しく皮膚呼吸ができることにあり、水のないところでは皮膚から粘膜を出して保水します。要するに鮮度が保てる魚は鱧しかなかったのです。
(梅雨の水を飲んで太る」と言われて入梅から祇園祭の7月が旬。また、8月の産卵後9月下旬から11月末までも、黄金鱧といって脂がのる第2の旬です。鱧は縄文時代から食べられていました。各地の貝塚から鱧の骨が出てくるのです。
平安時代には干物にして朝廷に献上されていました。江戸中期の寛政7(1795)年に出た「海鰻百珍(はむひゃくちん)」には、100種類以上もの鱧の料理法が載っていて、骨切りにも言及しています。
天保11(1840)年の「包丁里山海見立角力(ほうちょうりさんかいみたてすもう)」という食材の番付では鱧が東方(魚)の関脇で人気の程が分かります。ぎょっとする外見に似ず鱧の身は白くて美しく、脂もほど良くだしは濃厚。鯛と並んで京都の人が好きな食材です。味も良いのですが何しろ精の強い魚なので、それを食べる事で夏をつつがなくやり過ごしたいという期待も込められていたに違いありません。鱧も鮎も時期によって味の違いがはっきり分かる魚。食べて京都の季節を感じる魚。

それが鮎と鱧なのです。