特集・コラム

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みんな知ってる⁈京都の碁盤の目

みんな知ってる⁈京都の碁盤の目

==変化していく「碁盤の目」==


♬まるたけえびす おしおいけ~♬聞いたことありますか?これらは全部、京都の道路、通りの名称を覚えやすく唄にしたもの。
写真のように京都は「碁盤の目」といわれ、四角く切り取られた形をしています。
ほほ全ての通りに名前が付き、複雑で一見難しく感じるかもしれませんが通りの名前を覚えれば
有名観光スポットにも簡単にたどり着けるようになっています

平安京   


「碁盤の目」のはじまり

京都市内の“碁盤の目”の始まりは‘西暦794年平安京の都市づくり‘にまで遡ります。
条坊制(じょうぼうせい)とは唐の長安(ちょうあん)を参考にする都市計画で
南北中央に貫く朱雀(すざく)大路(おおじ)を配し、東西の大路(=条と名付け一坊から四坊まで)と南北の大路(=坊と名付け一坊から四坊まで)一条の北にさらに北辺(ほくへん)という8町からなる「坊」 が碁盤の目のように組み合わせられました。
また南端が都の正門である羅城門、北端が内裏や大極殿などからなる平安宮に接しており
朱雀大路を中心に東を左京、西を右京に分けた、左右対象の都市計画でした。
この当時の碁盤の目の計画は東西約4.5km、南北約5.2km、面積23.4㎡を有し現在の寺町通から葛野大路、一条通から九条通の区域がほぼこれにあたるといわれています。

室町時代  


正方形の町ができる

室町時代に入ると皇族や貴族の宅地は1町を超える大きなものに対し、人々が暮らす宅地は四方を通りで囲まれ
一辺を約120メートルの正方形を東西4分割、南北8分割して1町に32の世帯が集まっていました。
そのため通りに面する側に建つ住居は容易に往来できる一方、内側の住居の住民は大路や小路より小規模な道(=小径)を通らないと往来できない状態となります。
通りに接しない正方形の中心部は空き地などになり、あまり利用されなくなっていきますが商業が発達してくると 間口が通りに向いた形の建物が増加し‘両側町‘とよばれる同じ通りの両側の地域が一つの「町」を形成するようになります。
貴族の邸宅や官吏の住居に利用された平安京と違い、通りに面した位置が有利であったためです。

戦国時代  


秀吉の京都改革で町が長方形に

1 590年(天正18年)、京都の町‘割り‘に大きな変更を行ったのが、豊臣秀吉です。この地割は現在でいう
東は寺町通から西は大宮通にかけて、北端は丸太町通、南端は五条通付近に新たな道を通すというものでした。
道を造り区画を有効活用させたことにより新たな小道が増えることになります。
元からあった平安京時代の正方形状に区画されていた東西、南北ともに約120m間隔の町は南北120m、東西60m間隔で長方形状に区画されることとなり、これまで空き地だったところに新たな「町」がうまれました。
そのままの形が現在に残り京の街の碁盤の目になっているのです。
また四条烏丸を中心とする一帯(下京の中心部)は地割以前から十分に市街地が発達していたため通りの新設は行なわれず
そのため、この地域では平安京以来の正方形の区画がいまだ残っている区域となります。

江戸時代  


ほぼすべての道に「通(とおり)」名がうまれる

現在使われる「通(とおり)」という表現で呼ばれるようになったのは 戦国時代末期 のことでした。
またこの戦国時代から 安土桃山時代 ( 織豊期 )に掛けての時期に、現在にも伝わる新しい名称が多く生まれ、近世に掛けて定着していくことになります。
江戸時代になると河原町通・木屋町通など鴨川西岸、鴨東と呼ばれる鴨川東岸の開発が進み
明治時代から大正時代にかけては烏丸通、千本通・大宮通・東大路通、丸太町通・四条通、七条通の拡築。また、その後北大路通・西大路通・九条通・東大路通の市内外周道路のほか河原町通などの主要道路が拡築され市街地周辺部の街路も土地区画整理事業とともに、この時期から整備されていきました。
第二次世界大戦時には防火を目的に強制的に建物疎開が行われた。高辻通、智恵光院通等において消防道路の敷設のため、また御池通・五条通・堀川通などに沿って大幅な防火帯の形成のために建物疎開が行われ、戦後の道路拡幅に用いられることとなりました。

こうして出来上がった京都の碁盤の目、京都で暮らす人々は、どのようにして覚えているのでしょうか?
よく聞く噂される京都の長い住所の覚え方の解説です。

==京都の住所  「上ル・下ル」と「西入・東入」==


10世紀後半にそれぞれの通りに‘通り名‘が付いた事により目的地がどの通りのどの場所にあるのかということが分かれば場所を特定することができるようになりました。
現在も用いられる「○○通○○下ル」などの東西・南北の通りの名前の組み合わせと方向指示による表記については17世紀中期には すでに用いられています。

まず目的地が面している通り名を示し、次にその通りと直近で交差する通り名を末尾の「通」の語を除いて示したうえで、その交差点から見た目的地の位置を、北に向かう場合は「上ル/上る」(あがる)、南へは「下ル/下る」(さがる)、また
東西に向かう場合はそれぞれ「東入」(ひがしいる)、「西入」(にしいる)と表記する方法が用いられ、南北・東西それぞれの通りに面した場所について、以下のように表記されるようになります。

ではなぜ北に向かうことを 「上ル/上る」(あがる) というのでしょうか?
これにも平安京が関係していて、天皇の正面に向かう方向(北側)に進むことを「上ル」と言い、天皇の正面から離れる方向(南側)に進むことを「下ル」としていたことに由来します。
日本の多くの街では、道路を隔てると町名や丁目が変わり、道で囲まれたブロックごとに町名や丁目が付けられているのが一般的ですが地割された中心部では、通りを挟んで向かい合わせの住居や店で町を分けたために1ブロックに複数の町名が混在することとなります。

そのため通り名と上ル下ル・西入東入の住所表記は通りを知る人々には町名よりも目的地が分かりやすくなっているということです。

南北の通りに面した場所
南北の△△通に面し、東西の○○通から北に進んだところにある場所は「△△通○○上ル(あがる)」であり、○○通から南に進んだとろにある場所は「△△通○○下ル(さがる)」
東西の通りに面した場所
東西の□□通に面し、南北の××通から東に進んだところにある場所は「□□通××東入(ひがしいる)」であり、××通から西に進んだところにある場所は「□□通××西入(にしいる)」となります。

みんなどうやって覚えているの?


碁盤の目のように街路が横と縦に規則正しく並んだ京都の中心部、どこを歩いていても同じような道や交差点が多くあり、自分が今‘碁盤の目‘のどこにいるのか分かりづらくなってきました。
そこで生まれたのが
どこで覚えたかもわからない、でも京都で暮らす人ならみんな唄える 古くから伝わる「京都の通りの数え唄」。
大路・小路あわせて南北に30の通り、東西に27の通りもある名は南北・東西それぞれ、わらべ歌にのせて覚えていきます。

もう迷わない‼  東西の通りの数え唄 

           
♪まるたけえびすに おしおいけ          ♪丸竹夷二 押御池
あねさんろっかく たこにしき            姉三六角 蛸錦   
しあやぶったか まつまんごじょう           四綾仏高 松万五条
せったちゃらちゃら うおのたな              雪駄ちゃらちゃら 魚の棚
ろくじょうさんてつ とおりすぎ             六条三哲 通りすぎ
ひっちょうこえれば はっくじょう            七条越えれば 八九条  
じゅうじょうとうじで とどめさす♪           十条東寺で とどめさす♪


              

もう迷わない‼  南北の通りの数え唄

 
♪てらごこ ふやとみ やなぎさかい        ♪寺御幸 麩屋富 柳堺
たかあい ひがし くるまやちょう          高間 東 車屋町
からすりょうがえ むらごろも            烏両替 室衣 
しんまち かまんざ にしおがわ            新町 釜座 西小川
あぶらさめがいで ほりかわのみず          油醒ヶ井で 堀川のみず
よしやいのくろ おおみやへ             葭屋猪黒 大宮へ
まつひぐらしに ちえこういん            松日暮に 智恵光院
じょうふくせんぼん さてはにしじん♪         浄福千本 さてはにしじん♪  

上ル・下ルで人気スポットを訪ねよう!


平安京の都市づくりで基礎ができ、秀吉により今の形の碁盤の目になった京都中心部は洛中(主に上京区・中京区・下京区)と呼ばれ、その歴史や文化が色濃く残るエリアになります。
その中には有名な寺院や神社や名所が集まり
昔ながらの街並みと近代的な都市機能が共存している非常に魅力的な地域。
観光で人気のあの場所に、歴史を感じながら通り名と上ル・下ル、西入・東入を使ってたどり着いてみませんか?


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